「社会貢献」と、「電車でばあちゃんに席を譲る」ということ。
「寄付」とか「ボランティア」とか「社会貢献」とか、震災以降よく話題になってきましたねー。
ちょっと最近ふわふわ考えていたので整理も兼ねて書いてみます。長文です、すいません。もし興味あったら読んでみてくれたら嬉しいです。
僕にとって「ボランティア」って言葉は、半年前までは遠いところにありました。
「したほうがいいよなー」という気持ちはあっても、「でも俺が1000円出しても、全体で考えたら対して影響ないよなー」
という気持ちがほわほわと浮かび、迷ってるうちにタイミングを逃すと。
「自己満足で欺瞞的だ!」というよりは、「なんかしたいけどなんかようわからんしな…」という感じ。
みなさんどうでしょうか。
そんな僕は、仙台赴任など、たまたまにたまたまが重なって、結果として今NPOとか社会貢献とかに興味を持っているわけだけど、そうでなかったら間違いなく関心度は並の並、中の中。主体的に参加した訳ではありませんでした。
それで思ったのは、機会がないと、関心を持たないし、関心をもたないと、「いいこと」もしない。
誰かに「いいこと」をするのは、人間性どうのってよりも、機会が「たまたま」周りにあったかどうか。
これが一番大きい要素だと思います。
一回関心を持てば似たようなことがどっかで起きた時に、「ああ、あの時と同じだ!」と思ってまた関心を持てる。
んで、これが相手の喜ぶ顔が見える想像力になる。
喜ぶ顔見たら嬉しいじゃんね。
電車でおばあちゃんに席を譲ると、たいてい「いやいやいいんですよー次ですからいいですよー」の後、
「本当にありがとうねー本当に。ありがとうございます。」といって、すごく嬉しそうな顔をしますよね。
このとき感じる感情って、「いいことしたな~俺。さすが俺」っていう自意識より、「喜んでくれたな~こっちまで嬉しくなってしまった(^^♪」だと思うんです。
どうでしょうか。
自分うんぬんでなく、幸せをおすそ分けしてもらっているような感じ。
プレゼントを誰かにあげるにしても、「俺まじいい人だわ」じゃなくて、「きっと喜ぶな~ムフフ」と相手の笑顔を想像してにやにやする感じですよね。たぶん。
寄付とかボランティアとかも、こういう感じだと思うんですね。
でも、相手の喜ぶ顔が想像できないと、なんかピンとこない。
今新宿にいるのに、知らない人が横浜でメガネ落として「メガネメガネ…」と探していると聞いたからといって、わざわざ探しにいくかというと。いきませんよね。
誰だよ。勝手にやってろ。と。
でも、同じ人が「メガネメガネ…」とやっていて、もしどこでもドアがあって、ドアの向こうで探していて、一歩で拾えたとしたら、みんな拾って渡すと思う。
受け取って「メガネ!ありがとう!」というのが想像できるから。自分の負担にならない範囲でね。
今回の震災で、甚大な被害が出ている。それはわかっている。でも、知っている人がいるわけじゃない。テレビを見ても、ピンとこない。
誰かが声高に叫んでいても、その必要性はわかるし、協力したい気持ちもあるけど、ピンとこない。
これは責めることはできないし、もしみんな距離を超えてピンときていたら、世界から戦争はなくなっていますよね。
世のため人のため、というのは、ごく個人的な、おばあちゃんに席を譲るようなコミュニケーションから生まれる感情の積み重ねからなる、のじゃないかなあ。
甚大な被害。「想像も及ばない辛さなんだろう。」と。
本当に助けになるのか。中途半端な気持ちは逆に迷惑なんじゃなかろうか。と。
確かに、僕が東北で出会った方の中にも、実際の被害と同時に深い心の傷を負っている方は大勢いました。
なんて声をかければいいのか、どう接すればいいのかわかりませんでした。
その傷の深さはわかるわけもないし、その方々もわかってもらおう、助けてもらおうなんて思ってない。
でも、たいてい、「ありがとな」と笑顔でいってくれたりするんです。
その笑顔に、逆にこっちが励まされたりしました。
心なく軽薄な、上から目線のボランティアにひっかきまわされたのも事実だそうです。ですが基本的には、東北の人々は、支援してくれている全国、世界の人々に感謝していると言っていただけます。
忘れられていくのが、何よりも悔しい、と言っていました。ただ、知ってくれさえすればいい、とも言っていました。
このとき、上とか下とかではなく、ただ、寄り添った関係であるよう心がければいいのかな、と。
NPO法人「亘理いちごっこ」代表の馬場さんが、
「自分が被災者に添ったかのように見えて、実は添っていただいていることに気づくことから「支援」は始まります」
とおっしゃっていました。
この言葉には、
おばあちゃんに席を譲るときに自意識とかなしに、彼女が喜んでくれて逆にこっちが嬉しくなるのと、共通項があるように僕は感じます。
福島県川内村商工会会長の井出さんは
「できる人が、できることを、できるときにやることが大事。」
とおっしゃっていました。
「自分の成長」とか「社会的意義」とかそういうことはあんまり気にしなくていいと思います。
もし自分から距離をとってしまっているなら、あまり深く考えず、気持ちの向いたときに、余裕のあるぶんだけ、喜んでくれるところを想像して、誰かに個人的に、ごく近い人という感覚で気持ちを向けてみる、そういう感じでいいんだと思います。
東北全体にエールを送ろう!なんて意気込まなくてもいいし、
重要なのは、その熱量よりも、むしろ真摯さだとも思います。
(俺が真摯でないのになにをいってるんだという感じですが。)
なんか、カジュアルに、スタバとかでコーヒー買う感じで身近に寄付とかできればいいんだろうけどな。
(募金箱はあるけど、一方的だし具体的に誰にっていうのはよくわからないですよね。)
個人的には、僕は自分のことばっか考えていて、人のことは考えないほうだし、僕よりはるかに思いやりに溢れた人たちに助けられ続けているので、個人が寄付をしやすい環境が日本で馴染んでいないのは、大きな日本の社会構造的な問題だと思っています。あと、いいことを堂々とするのはアピールしてるみたいで恥ずかしいというような文化的な面とか。
実はアメリカは逆に寄付の95%が一般個人からだ、とか、アメリカでは当たり前の「寄付金による税控除」が日本では未発達だとか、それがこの4月からちょっと改良される、とかそういう話も書きたかったけど、やっぱり長くなってしまったのでまた今度書きます(^_^;)
まとまらんなあ。個人的な感覚を言語化しただけなので、よくわからない部分もあったり、偉そうに見えるかもしれませんが。それでももしここまで読んでくれたのでしたら、
本当に感謝します。ありがとうございました。
これからも考えていきたいと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
勉強って疲れますね!
受験生のころは一日10時間以上勉強してたこともあったから楽勝でしょとか思ってたけど、2時間くらいでばてばてです。道のりは長い。。
報告をすると、1月に会社を辞めて、税理士になるべく勉強を始めました。いそいそとね!
絵にどんな餅を書いているかというと、
NPO
art
community space
等々の最近流行りのキーワードを使って、
被災地(東北)×東京
とか、まあそんな感じを考えていて、
税理士になってパワフルな方々のお役に立ちながら、そんな個々人のネットワークをつくるというのを本業にしたいところです。
「ごまはNPOをサポートする税理士になりたいのかー」
とでも思ってもらっていればそんな感じでだいたいいいと思います。
3月あたりからお世話になる税理士事務所は溝の口、
昨年からお世話になりすぎて恐縮な、懐の広いカフェ併設の会社が自由が丘、
学校が渋谷、
なので、基本、渋谷界隈をうろうろしてさびしがってるので、通りかかる時に一声かけていただくと喜びます。安いコーヒー飲みましょう。
(説明の仕方がなんだかふわふわしていてすみません、具体的なことを報告できるようにがんばります)
このキーワードらの動機や理由を一言でいうのは、まとめ大苦手で冗長さが有名な僕には過酷なことですが、
さっくりいうと、震災が大きかったのかもしれません。
僕はコミュニケーションが苦手で、非リア充軍ですが、人の繋がりってすごいな、と思ったんです。新宿から杉並まで歩いてる時に、みんなが水配ってたりトイレ貸してたり、twitterでの連帯感だったり。ああ、人って優しいんだ。って。
たまたま仙台赴任になったのもすごく大きかったですね。石巻出身の方と飲んでて、すごいきさくで楽しかったんだけれど、「強いねー我慢強いねーと言われるけど、冗談じゃねえよ。同じ人間だよ。強くねえよ。苦しいんだよ。夢に見るよ。でもんなこと言ってらんねえんだよ。」って言ったときの、目。忘れられません。
その日から、ずっと気持ちを寄せていくことが必要なのかな、と思いました。
たまたまボランティアを経験できたのもよかったです。
NPOとかボランティアって、人を助けた気になる自己満足、とか、結局営利企業のおんぶにだっこ、とか、アマチュア集団、とか、そういうネガティブな感情をもたれたり、そこまでいかなくても、なんか違和感あるなーとか、距離があるなーとか、思う人は多いんじゃないかと思います。
たぶん、距離、だと思います。
てか、僕がそうでした。あんまり興味なかった。というか視界に入ってなかった。
でも、ちょっと関わってみて、ものすごい、普通の、当たり前の、近い感覚だってことがわかりました。
世界平和!love&peace!!とかそういうんじゃなく(それもいいんだけど)。
NPOとか、寄付とか、そういうことについて、今度また書こうと思います。長くなっちゃったので。
NPOは流行りですが、もっともっと流行ります。うまくいけば、ちょっといい世の中が待ってるかもしれません。そのためにはお金にちゃんとしてる団体が増えていかないといけないんですけどね!
なんだかんだ言ってフリーターだしお金もないし肩身も狭いしであれですが、今後ともよろしくお願いいたしますm(__)m
(Source: yumeyumecherry)
今日はNPO法人soatのカフェにいりびたってたのですが、そこには本物の暖炉があるんです。
暖炉の火って、こまめに見ていないとすぐにくすぶってしまうもので。
小枝を入れて、薪を入れて、・・・・
最初の燃え盛る火も楽しいけれど、炭化した薪(オキっていうんだって)が増えてきてからのほうが、控えめな火が熱を身体にじんわりとにじませてくれて心地いい。
なんだか見入ってしまって、うとうとして夢を少し見た気がする。
確か、友達と笑いながらなにかの作業を一緒にしている夢。
火が弱って寒くて目が覚めて、また小枝を入れて、薪を入れて、・・・
身体をあたためてもらうかわりに薪をくべる。薪をくべると燃えてくれる。
ただ、燃えてるのを、見て、弱まったらくべる。気にかけてあげる、それだけ。
気のおけない友達に、かける言葉と、似てるのかな。
ありがとう、とか、大変だったね、とか。
すごく単純で、すごく安心できるやりとり。
ただ、よりそう気持ちひとつ、なのかもなあ。
gift by gift for a better world
Snoopy and Woodstock are too timeless to put in a Vintage Christmas post, so they get their own instead.
よい夜を!
やっほーよろしくたのむよー
(Source: negy)
おはようございます!いや、朝もはよからすいません。
(Source: expo7000)
2009-06-30
これ良いね
本じゃなくても新聞で良い
(via nagas, otsune) (via kasei-san) (via mugen8764) (via takayai)2010-08-24
(via gkojay) (via wingknights) (via rarihoma) (via yamifuu) (via katoyuu) (via kanpo0324) (via handa)
